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なぜ私が心理セラピストになったのか?「わたしのものがたり」

  • 執筆者の写真: Kimi Aoki
    Kimi Aoki
  • 7月10日
  • 読了時間: 5分

更新日:7月13日


ニューヨークの公園。ワシントンスクエアパーク。

こんにちは! オンラインで受けるNYスタイル心理セラピー の心理セラピスト青木貴美です。


このたび、ウェブサイトのリニューアルにあわせて、ブログを始めることにいたしました。 心理セラピーを受けることを考えている方の中には、「どんな人がセラピストなんだろう」と不安に感じる方がいらっしゃるかもしれません。


その不安が少しでも和らいでいただけたらと思い、自己紹介を兼ねて、なぜ私がセラピストになったのか、「わたしのものがたり」を綴らせていただこうと思います。


 --- contents --- 




■ なぜ私が心理セラピストになったのか?3つの要素

私がセラピストになった背景には、大きく3つの要素があると感じています。 一つ目は、幼少期の環境と体験。 二つ目は、ニューヨークで過ごした中での、精神的に苦しかった体験。 そして三つ目は、2001年の9.11同時多発テロをきっかけに自分のセラピーに通い始めたことです。 今回は、その中でも一つ目の「幼少期の体験」についてお話します。

■ 幼少期の原風景


私は西日本の地方都市で、両親・祖父母・妹とともに6人家族で育ちました。 小学生のころ、平日の午後に家に帰ると、いつも決まったような光景が広がっていました。 実家は商売をしており、店舗のすぐ奥にある居間には、祖母の友人が数人、毎日のように集まってお茶を飲みながら、茶菓子をつまみながら世間話に花を咲かせていました。

おばちゃんたちの話は大概、健康や病気のこと、夫や子どもなど家族の話、そして戦争の体験談でした。


座布団に座り、低いテーブルを囲んで話しながら、昔のことを思い出しては涙したり、笑いあったり、時には怒りに震えていたり、話が尽きることはありませんでした。 私は学校から帰ったままの制服姿でその輪の横にちょこんと座り、祖母やおばちゃんたちの顔を見ながらそんな話をただ聞いているのが好きな子どもでした。

祖母は自分の話をするよりも聞き手の側で、「ほうほう」と心からこぼれるような相づちを幾度も打っていたことを思い出します。 3-4人のおばちゃんが毎日かわるがわる来て、夕方、食事の支度どきになると「それじゃあまたね、ありがとう」と言って帰っていく。 今思うと、祖母はおばちゃんたちにとって安心して話せる場を提供し、自然と聞き役になって、涙も笑いも怒りも受け止め、カウンセラー的な役割をしていたように感じます。 そしてその姿を横で見ていた私は、そんな風に人の話を聞く姿に惹かれていったのではないかと思います。 形は違えど、セラピストという仕事を通して、いつの間にか祖母と同じようなことをしているんだなと感じています。

■ 質屋の人間模様

そして、幼少期の体験についてはもう一つあります。 実家の商売は小さな質屋で、お金に困ったお客様が出入りするのを子どもの頃から見聞きしていました。

競馬のために妻の指輪を黙って質に入れた男性、その指輪を取り返しに来て「もう二度とうちの夫にお金を貸さないで!」と怒鳴る奥さん。 借金の催促電話に、「お父さんは今いません」と毎回対応する、私と同じくらいの年の子ども。 遠方に住む急病の親に会うため、旅費を工面しようと、背広を持ってきた男性。 どういった事情なのか、和服をたくさん抱えてきたきらびやかな飲み屋のお姉さんなど。 さまざまな人間模様を垣間見ながら、私は幼いながらに胸を痛めたり、心配したり、ハラハラしたりしていました。そして「人の人生にはいろいろな背景や事情がある」ということを、肌で感じるようになりました。 当時の私は、質屋という商売が好きではなく、本音を言えば恥ずかしい気持ちがありました。 困ってお金を借りにきた人が、時には断られ、しょんぼりとしぶしぶ帰っていく姿を見ると、申し訳ないようなやるせない気持ちになっていました。 家業の関係で週末や祝日に休みがなく、またいつも誰かが家に出入りしていて、落ち着かない日常に不満を感じることもありました。商売のない、静かな家というものにずっと憧れていました。 それでも今振り返ってみると、嫌だと思っていたこともすべて含めて、あの体験こそがセラピストとしての私の原点になっていると感じています。

■ 嫌だったことも、今ではかけがえのない原点に

おばちゃんたちの話や、質屋のお客様とのやりとりを通して人生の機微に興味を持ち、そして祖母を通して、共感を持って話を聞く姿勢が知らず知らずのうちに私の中に根づいていったように思います。

子どもの頃からすでに私のセラピストへの道は始まっていたと、今そんな風に感じています。

このブログを読んでくださっているあなたにも、 もしかすると、「あのときは嫌だったけれど、今振り返ると大切な価値ある原点だった」といった体験があるのではないでしょうか?

このブログを書きながら、そんなことを思っています。 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 今日という日があなたにとって優しい一日でありますように🌿





日本茶。祖母は友人とお茶を飲みながら世間話をしていた。



 
 
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